群馬大学理工学部・大学院理工学府 電子・機械類 機械プログラム エネルギー環境研究室

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LEARNNINGS
群馬大学理工学部/大学院理工学府 エネルギー環境研究室では「ジェット噴射における騒音原因解明」「エンジンを主とした効率的なエネルギー利用」「光を利用した微粒子測定」「先進的交通事故防止システムの分析」を研究しています

本研究室では、

「ジェット噴射における騒音原因解明」「エンジンを主とした効率的なエネルギー利用」「光を利用した微粒子測定」「先進的交通事故防止システムの分析」

などを工学専門分野として研究しています。

群馬大学理工学部/大学院理工学府 エネルギー環境研究室では、スキルとして「コミュニケーション能力」「安全工学」「計測光学」「C言語」「Python」「ARDUINO」「ものづくり」「英語」「討論」が身につきます

また、これらの研究を支えるスキルとして

  • コミュニケーション能力:ギャグを言う能力ではありません
  • 安全工学:フールプルーフとフェールセーフ
  • 計測光学:センサ、レーザ、光学素子、カメラ、較正
  • C言語+Python:エンジン制御、FFT、画像解析、波動方程式解析、ウエーブレット解析
  • ARDUINO:マイコンでエンジン電装系設計実装
  • ものづくり:設計製図からの旋盤・ボール盤・配管・ロウ付
  • 英語:教員は全員英語を話します
  • 討論:他大学生や企業エンジニアと、本気の交流ができます

を身につけることができます。

工学技術者としての専門性」と「専門技術を支える基礎技能」、この両方を併せて習得することは、専門職での即戦力になる条件となるだけでなく、この先のあなた自身を根本的に支える力となるはずです。



MEMBER

STAFF

教授  荒木 幹也

流体工学 / 熱工学 / 航空宇宙工学 / ナノマイクロ科学 / エネルギー学

所属学会:日本機械学会, 日本航空宇宙学会, 自動車技術会, 日本燃焼学会, 米国航空宇宙学会,
日本エネルギー学会,日本マリンエンジニアリング学会,可視化情報学会
研究者情報

准教授  ゴンザレス ファン

社会システム工学 / エネルギー学

所属学会:International Association for Energy Economics, 日本機械学会,
エネルギー資源学会, 日本エネルギー学会, 自動車技術会
研究者情報

事務職員  藤井 るり子


STUDENT
2025年度
大学院博士課程2年1名
大学院博士課程1年1名
大学院修士課程2年7名
大学院修士課程1年5名
学部4年5名



HISTORY

本研究室の歴史は古く、その出発点は工学部発足時の「熱及熱機関講座」までさかのぼります。

その後「熱工学講座」「エネルギーシステム工学講座 第2研究室(エネルギー2研)」「エネルギー環境研究室」と名称が変わっていく中でも、通称である「熱研(ネツケン)」の呼び名は、今も研究室内で親しまれています。


熱研(ネツケン)の輪講合宿

※本文は、柄沢隆夫先生がご寄稿された「倉林俊雄先生を偲んで(微粒化 Vol.32, No.107(2023) P33-34)」を参考にさせて頂きました。


輪講合宿が始まったのは、「工学部 機械工学科 熱工学講座」時代である昭和31年とのこと。当時週一度行われていた「英文の熱機関関連論文を、学生が順番に読み上げ、訳し、講釈する」という「輪講」を「夏休みに合宿という形で、集中して行ったらどうだろうか」という、倉林俊雄先生からのご提案があってのことといいます。

開始当時は、宿舎が現在の理工学部がある桐生市天神町から直線距離9kmほど北東へ行った「碧雲寺(当時は栃木県田沼町飛駒(入飛駒地区))」で、3泊4日、三食自炊でした。入飛駒地区は昭和43年に桐生市へ合併し「桐生市梅田町5丁目」となります。碧雲寺付近も「梅田町5丁目今倉地区」となりますが、ここは桐生川ダム建設による水没地域となります(古地図と合わせた地図検索によると今倉地区は、桐生川ダム東側道路沿いにある「水没跡地碑 」付近のようです)。碧雲寺も昭和55年に梅田町1丁目に移転したため、その前時期に合宿も碧雲寺から、群馬大学付属の「北軽井沢研修所」へ場所を移すことになります。

碧雲寺時代では、合宿3日目に根本山への山歩きが計画されていました。根本山は桐生市の最北部にあり、当時の碧雲寺から直線でも7.5kmあります 。根本山は古来より山岳信仰が盛んで、江戸時代にはガイドマップが作られ、多くの参詣者が訪れていたようです。現在でもぐんま百名山に選ばれており、桐生市のハイキングコースとしても人気です 。ただコースはくさり場もあるような上級者向けとのことで、当時の学生もかなり気合を入れての山歩きだったのではないでしょうか。そして登山後の夜に行われたコンパは、さぞ盛り上がったことと思います。
 コースは毎年、倉林先生と碧雲寺の方丈さん(住職)の示唆で変えられていて、年によっては「根本山を抜けて足尾へ(昭和37年か38年頃、根本山から足尾まで直線距離10km)」「桐生川源流調査」などが企画されたそうです。

北軽井沢研修所の利用は、当時倉林先生が長年顧問をしており、また研究室所属学生も多く入部していた「自動車部」が合宿所として使っていた縁あってのことのようです。こちらでも3泊4日の三食自炊で、朝はラジオ体操や照月湖(※)への散策が行われた他、山歩きも受け継がれ、場所は日本二百名山に挙げられる浅間隠山となりました。※照月湖は北軽井沢研修所がある大学村にあった湖。2019/10の台風被害により残念ながら消滅

この伝統の輪講合宿は、コロナ禍による中断もありましたが、令和7年より場所を赤城山に移して再開しました。学生による論文要約プレゼンテーションを中心に、(上級者向けではない)山歩きや朝のラジオ体操などの伝統行事も入った、知と体を鍛え、そして研究室内の輪を深める行事となっています。

参考文献:柄沢隆夫「倉林俊雄先生を偲んで」『微粒化』Vol.32, No.107, 2023, pp.33–34.